市で見かけた髪留めがとても綺麗だった。髪留めの前を通り過ぎた
時、視界に飛び込んできた鮮やかな色に目を奪われた。 朔が先に進んでしまうのが見えていたのに、その場を動けなかった
。 手にとって眺めていると、横から朔が手元を覗き込んだ。 望美の持つ髪留めを見て目を細めた。 「綺麗ね。望美の髪にきっと似合うわ」 「そ、そうかな?」 口ではそんなことを言いつつ、嬉しかった。けれど、持ち合わせが
なかった。 いつまでも見ていても仕方ない。 潔く諦めて、またの機会にしよう。 歩き出したが、しばらくしても朔が追いついてこない。 「朔?」 今度は朔がさっきまで望美が立っていた場所で立ち止まっていた。
望美が朔の横に並ぶと、朔は望美の持っていた髪留めを手にと
っている。朔はその髪留めを指した。 「これ、いただけるかしら」 手渡された髪留めをそのまま望美に渡す。 「これはあなたに」 渡された髪留めを受け取って望美は戸惑う。思わず両手で包み込む
ように持っていた。 「私、お金持ってないよ」 「いいのよ、私は持っているから」 「だ、駄目だよ。もらえないよ」 髪留めをのせた手をそのまま前に出す。朔は受け取らない意思を示
すように自分の両手を後ろに隠した。 「いいじゃないの。遠慮することなんてないわよ」 「でも・・・」 「私には使い道がないもの。それに私がそうしたいのよ」 「・・・ありがとう。朔」 「どういたしまして」 望美が目を細めて口元を綻ばせるのを見て、朔も破顔した。 「戻ったら早速つけてみましょうね」 帰り道を歩きながら朔が弾んだ声で言って望美を見た。 「・・・何を?」 きょとんとした顔で見返してくる望美に今度は朔が同じ表情になっ
た。それから怪訝そうな顔になった。朔の足が止まったことに
つられて望美も立ち止まった。 「何って・・・髪留めよ」 「あ、そうか・・・。そうだね、ありがとう」 京邸に帰ると荷物の片付けもそこそこに、朔が鏡の前に座るように
指示する。望美が素直に座ると望美の髪をそっと持ち上げる。
それから用意してきた櫛で髪を丁寧に梳る。 鏡の中に映る朔は優しい顔をしていた。 「思った通りね。よく似合うわ」 「ありがとう」 「今日は天気もいいし、庭に誰かが居るんじゃないかしら?」 暗に誰かに見せてこいといった朔の意図には気づかず、何かを思い
出すようにあさっての方向を見た。 「庭・・・?・・・あぁっ!」 望美の大声に驚いて朔が肩を上下させた。 「ど、どうしたの?」 「修行!今日はまだだった!」 引き止める間もなくどたばたと大きな足音で駆け出す望美を見送っ
て、朔が苦笑した。 「望美らしい・・・かしら」 数回素振りを繰り返して望美は剣を下ろした。髪を束ねている髪留
めに軽く触れる。再び素振りを始める。 だが、しばらくすると髪留めに触れていた。髪留めの何がそんなに
気になっているのか、望美にもわからなかった。わかるのは全
く修行に集中できていないことだけだった。 辺りを見回した。九郎かリズヴァーンに稽古をつけてもらおうと思
ったのだ。そうすれば集中せざるをえない。 しかし人影すら見当たらず、望美は小さく息を吐いた。頭を振って
そのまま木の根元に座り込む。 集中力が散漫な状態で稽古をつけてもらっても同じことだと思い直
した。逆に二人を煩わせるだけの結果になってしまう。 もう一度、ため息をついた。 気を取り直そうと頬を両手で叩いた。 「よしっ」 声に気合を込めて立ち上がる。剣の柄を握り締めた。 その時、頭上で木の葉がざわめいた。風は吹いていない。不審に思
って木を見上げた。木の葉が望美の顔の上にひらりと舞い落ち
る。じっと見つめていても木が再びざわつく様子はなかった。 「熱心だね」 後方の気配に剣を構えて振り返った。望美には声の正体が誰なのか
わかっていたのだが、これは条件反射だった。 思った通りにヒノエが立っていた。 「いつもの姫君も可愛いけど今日の姫君も凛々しくていいね」 言いながら望美の手首をそっと押さえて剣先を下に下げる。 剣を構えっぱなしだったことに気づいて望美があわてて剣を下ろし
た。 「その緋色の髪留めも、よく似合うね」 「ありがとう」 はにかんだ笑顔をみせた望美を見て、ヒノエは一瞬、考え込むよう
な表情になる。望美はそのことには気づかない。 「姫君は知っている?緋色は思ひ色とも言うんだ」 「おもいいろ・・・」 望美はヒノエの言葉を繰り返した。ヒノエは頷いた。 「そう。誰からの贈り物だい?」 唐突な質問に思考が追いつかなかった。目を瞬きさせるだけの望美
にヒノエは笑いかけた。 「そいつはきっと望美を憎からず思っているんだよ」 二の句が継げないでいる望美をヒノエは見つめている。頭の中では
ヒノエの言葉がぐるぐる回っていた。ヒノエと視線を合わせた
途端にその言葉が大きく木霊した。 「憎からず思っているんだよ」 全ての物の動きが止まったように思えた瞬間。 望美の顔に赤みが差していく。 髪留めに惹かれた理由が目の前にあった。ヒノエのイメージカラーは紅緋らしいんですが、緋色を
思ひ色ということがあると本で読んで考えたものです。これは
やっぱりヒノエでないと!と思ったんです。ヒノエに心の奥底
で惹かれていたことに気づくまでを書こうかなと。