19.・・・まだ足りない。



望美は戦場で前に出ることを躊躇わない。勇ましい戦いぶりは、見たら誰でも一度は圧倒されるだろう。源氏の神子と恐れられている姫将軍。弁慶がいつかそう言っていた。

怨霊が振り下ろす剣を自分の得物の刃で受け止めた。そのまま右に払う。剣を弾かれて身体が少し仰け反った。それを見逃さずに相手の懐に飛び込んだ。白刃一閃。
怨霊の姿が徐々に霞んでいく。そして霧散した。
かろうじて視界の隅にいた譲が矢を番えていないのを見て、臨戦態勢を解いた。

「ヒノエ」


誰かがオレを呼んだ。その切羽詰った調子を疑問に思う前に殺気を感じた。それと同時に耳元で風が鳴った。右肩をわずかに剣が掠めた。横に飛び退きながら身体を反転させた。怨霊と距離を置いて向かい合う。

「ヒノエくんっ」


望美の声が響いて、それが合図のように焼けつくような痛みが全身を駆け巡る。この痛みだけは何度経験しても慣れない。
相手の剣を受け止めるが、腕に力が入らない。望美がこちらへ向かって駆けてくる。だが望美が駆けてくる間に風を切る音がして怨霊が射抜かれる。怨霊が霧散したのを見て、望美はその場に立ち止まり、ほっと息をついた。
とりあえず譲に礼を述べようと振り返った。譲の顔が青ざめていた。

「先輩っ」


素早く望美の居た方へ向き直る。
怨霊が剣を振りかぶる。望美の頭上で白い切っ先が閃いた。譲が弓を引き絞るのを視界に捉えながら、駆け出した。
頭の中で、間に合わないと囁く声がした。心臓の音がはやくなる。血の気が引いていくのがわかる。自分の手足が冷たい。
望美が背後を振り返る。小さな悲鳴を上げた。
もう声も出ない。ただ走った。
刃が望美に振り下ろされる刹那。
怨霊が掻き消えた。先に振り下ろされたのは九郎の太刀の刃だった。九郎は一息ついてから大声を轟かせた。

「人のことに気をとられてる場合か!!」


オレの横を譲がすごい勢いで駆け抜けた。望美と一瞬、目が合ったような気がした。いつもなら誰よりも先に望美の元へ向かうのに、オレは目を逸らして歩き出した。今は誰とも話したくなかった。

世話になっている邸の庭の樹の根元に座り込んだ。あんなに背筋が凍る思いをしたのは初めてだった。元を正せばオレが招いたことだ。自分のせいで望美を危険に晒した。望美が自身だけではなく、オレたちを守りたいが故に戦っていることを知っていたのに。合わせる顔がないと思うのは当然のことだった。
斬られた右肩が痛む。けれど望美が傷つくことで伴なう痛みはこの比ではない。
そんなことを考えていたら望美が姿を現した。

「ヒノエくん」


合わせられないはずの顔が緩むのがわかった。

「まさか、姫君の方から来てくれるとはね」
「え?」
「こっちの話。どうかしたのかい?」
「怪我の手当て。弁慶さんから薬をもらったから」


弁慶の薬。幼いころの記憶の断片が、脳裏を過った。思い出すだけで冷たい汗が背中にじんわりと滲む。かと言って姫君の前で取り乱すなんて情けない真似はできない。立ち上がって、回れ右をしそうな足を押さえつけた。 傍らからふわりと花の香が香る。望美が隣に腰を下ろしていた。頭上を仰げば、数少ないけど樹を彩る花が咲いていた。姫君の白くて細い指が肩に触れる。躊躇うような戸惑うようなその触れ方が体温を上昇させた。口元を押さえて、反対側に顔を背けた。
いつも姫君の顔を赤く染めるのはオレなのに、今日は逆になった。
女性に触れられるのは慣れてるはずなんだけどな・・・・。

「傷・・・深いね」
「・・・そう?」
「弁慶さんに診てもらったほうがいいね」


望美に触れられてる腕が小さく震えた。望美がオレの腕をつかんで微かに震えていた。

「・・・・望美?」


下を向いていて表情は窺い知れない。震える指先から振動が伝わる。泣いているのかと思った。空いてる左手で抱き寄せた。

「ごめん」


危険な目にあわせた。オレの所為でお前は命を落とすところだった。

「・・・違うよ、ヒノエくんの所為じゃない」


声は凛とした響きを帯びて耳に届く。 顔を覗きこむと私が未熟なだけだよと、笑ってみせる。

「安心したんだ。ヒノエくんが生きてて・・・」
「それは少し大袈裟なんじゃない?」
「そうかもね」


そう言った望美の声は真剣そのものだった。 どんな想いを抱いての言葉なのか。普段ならその疑問を口にしているだろうけど、望美の声の真剣さに躊躇った。代わりに。

「・・・・・いなくならないよ」


腕の中で望美が頷いた。
でもね、望美、オレも怖いんだよ。お前は強いから。オレたちが守るなんて言うのが憚られるくらいにね。守る戦いを躊躇わないから。自分が傷つくことも厭わないから。
いつか、オレの前からいなくなるとわかっているから。

「手当て出来ないよ」


望美が手を振って暴れようとする。なお一層腕に力を込めたくなる。

「こんなときくらい安心させて」


存在を確かだと思わせてほしい。 本当は抱きしめるくらいじゃ・・・まだ足りないんだけどさ。


ありきたりで申し訳ございません。心配するヒノエが書きたかったんです。

20060329