九郎side 今朝は何故か、いつもより早く目覚めた。まだ外も薄暗い。 剣の練習でもしようと身体を起こす。 水で顔を洗い、わずかな眠気を拭い去る。 庭に立ち、剣を振る。舞い落ちる花びらを掬うように。 昨夜の桜はとても美しかった。 花びらを見ていると思い出さずにはいられない。 「・・どうも集中できないな」 振り上げた剣を下ろして、溜め息をついた。 空も白み始めてきた。 少し、いや大分早いが、 皆を起こさないように行けばいいだろう。 京邸へ行く仕度をしよう。 京邸は静まり返っていた。 空は出発したときよりも明るくなってはいるが、 まだ人の起きる頃合には早い。 出来るだけ足音を立てないように移動した。 中庭にさしかかる頃、人の気配を感じた。 剣の柄に手をかけつつ、その気配に近づいた。 「…望美!?」 中庭には望美がいた。 今の九郎の声にも気づかぬほどに集中しているようだ。 舞を舞っている。 望美の動きに合わせ、赤い舞扇が淀みなく動く。 瞬きを忘れてしまうほどだった。 神泉苑では他意に気をとられて、見ている場合ではなかった。 だが、これ程とは思わなかった。 後白河院が召し上げたくなるわけだ。 凛としていて、とても美しい。 辺りの空気が清らかに澄みきっていくようだった。 昨夜の夜桜のようだと、そう思った。 「九郎さん!?見てたんですか?」 望美の声で我に返った。望美が目の前に立っていた。 目を丸くしていた。 「…あ、ああ。すまない。声を掛けづらかったんだ」 まだ夢の中にいるような心地だった。 とても心地よく、覚めてしまうのが惜しいくらいに。 「いつから…見てたんですか?」 いつから…?いつからなんてわからない。 ただ、ずっと見ていたかった。 「…わからん。ただ、長い間お前を見ていた気がする」 望美の顔に赤みが差した。何か怒らせることを言っただろうか? 何も言わずに見ていたことに 腹を立てているのかもしれなかった。 「とても綺麗だった」 思わず出た言葉だったが、 九郎が望美に伝えたかった言葉でもあった。 「あれが龍神に雨を降らさせる舞なのだな」 喜んでくれるんじゃないかと、期待していたのかもしれない。 だが、望美の反応は期待していたものではなかった。 「違いますよ。それは私が龍神の神子だからです」 どう言えば、いいのか。感じた想いを何とかして伝えたかった。 普段、言葉を選ばないせいで上手く伝えられる自信がない。 弁慶だったら、たやすいのだろうな…。 考えても詮ないことだ。けれど、弁慶を羨ましいと思った。 「だが、俺が後白河院なら、雨を降らせようが、 そうでなかろうが迷わず連れて行く」 精一杯だった。どれだけ望美の舞に感嘆したか。 想いを伝えられただろうか。 望美は瞬きを繰り返していた。 唐突すぎたのか。どうも間が悪い。 譲の姿が見えた。そろそろ邸の者が起き始めるようだ。 せっかくだから朝餉の準備を手伝おうと思った。 声を掛けようと望美を見た。 望美の顔が赤い。 「どうかしたのか?」 もしや体調を崩したのだろうか。 そう思って問いかけたのだが、本人は首を振る。 何でもないということらしい。 本人が言うなら、様子だけ気に掛けておこう。 それともまた怒らせてしまったのか。 「譲が起きてきた。朝餉の準備を手伝うか」 歩き出すと、望美も追いついてきた。顔の赤みはもうない。 杞憂だったようだ。 喜んでもらうことはできなかったようだと苦笑した。 朝餉の後、弁慶と望美を見かけた。 弁慶が何事かを望美に言うと、望美は笑った。 弁慶やヒノエが花の笑顔と言って憚らない笑顔だ。 視線に気づいて望美がこちらに振り向いた。 「あ、九郎さん」   駆け寄ってきた。 「すまない。邪魔してしまったか」 「いいえ。弁慶さんに御用ですよね」 「そうなんだが…。おまえにも用があって」 「何ですか?」 不思議そうに望美は首を傾げた。 「…さっきはすまなかった」 「え?」 突然の謝罪に望美は目を見開いた。慌てふためいて言う。 「な、何のことですか?」 「おまえに黙って舞を見ていたことだ」 望美は納得した表情になった。 「九郎さんに謝ってもらうようなことは何もないです。 見られていたことには驚きました。 それにちょっと恥ずかしかったですけど、 それは私の舞がまだまだだからです。」 「そんなことはない。まるで昨夜の桜のようだった。 おまえさえよければ、また、見せてほしい」 「え、あ、あの…」 「おかしなことを言ったか?」 「そうじゃなくて、あの、九郎さんの言葉は心臓に悪いです…」 今の言葉の意味を考える前に、望美がさらに言った。 「でも、嬉しいです。もっと舞の練習もしておきますね」 じゃあ、私はこれで、と望美は駆けて行った。笑っていた。 ということは、喜んでもらえたのだろうか。 舞が素晴らしかったと伝えられたということだろうか。 後ろ姿を見送り、呟いた。 「花の笑顔か」 「本当に九郎が後白河院でなくてよかった」 いつの間にか近くに弁慶が立っていた。 望美の姿が見えなくなってから、こちらを振り向く。 弁慶の今の言葉に眉根を寄せた。 「何だそれは」 「…迷わず望美さんをさらわれたら困るという話です」 「なっ!」 一瞬絶句してしまった。何故、そのことを知っているのか。 思い当たる節は一つしかない。思わず弁慶に詰め寄った。 当の弁慶は顔色一つ変えない。 「おまえ、もしかして…」 「九郎は僕の気配に気づくと思っていたんですけど…」 「居るなら居ると言え!」 「すみません。僕も感心してしまったんです」 言葉では謝っているが、顔は笑っている。 明らかに自分の反応を楽しんでいた。 舞を見ていたときも、 弁慶は居ることを明かす気はさらさらなかったに違いない。 まさか弁慶が居たとはな…。頭を抱えたくなった。 END


九郎sideです。望美視点のものもあるんですが。