周囲には暗闇しかない。地に足がついているのかも定かではなく、今ここに存在しているのかもひどく曖昧に思えた。目を閉じても、瞼の裏に焼きつくものも残る像もない。空気に溶けているような錯覚を抱く。手のひらを眼前にかざす。人の手のひらとしてそこにあった。
ふと敦盛は呼ばれた気がした。辺りを見回す。闇。闇。誰の姿も見つけられない。暗闇の中で敦盛を呼ぶ声が響き続けている。声は徐々に不安そうな響きを帯びていく。焦りと悲しみ。混じっていくように感じるのは負の感情ばかり。
敦盛は声の主を捜す。敦盛には間違えようのない少女の声。いつも敦盛には眩いばかりの笑顔を向ける少女の悲痛な呼び声がつらかった。
敦盛の声を聴くことで少しは少女が安堵してくれたら。少女は紛れもなく敦盛を呼んでいた。深く考えずに敦盛は少女を呼ぶ。
「ミコ」
おかしい、と思う。 この空気を震わす音は間違いなく敦盛から発せられたもの。そうであるのに、それは声ではなく、音だった。先程そうしたようにもう一度手をかざす。 人の形を成していなかった。
「敦盛さん」
眩い笑顔の持ち主が眉間にシワを寄せている。 ―笑顔が似合うのに勿体ないことだ。 瞼が重たく、再び閉じようとするそれをかろうじて押さえ、少女に手を伸ばした。笑顔が似合うと伝えたい。笑っていて欲しいと。 伸ばした手は少女に包み込むように捉えられた。優しく、温かく。 ―私はきっと、貴女の枷にしかならないのに。 少女は首を振る。全て承知だとでもいうように。 ―貴女の幸せを願う。できることなら― 閉じていく景色の中で少女が小さく笑ったのを見た。同時に頬に温もりを感じた。敦盛受け阿弥陀提出作品です。短くて申し訳ありません。 これは自分の中ではアンハッピーではないつもりです。 20061121